つりたん

都内から釣りに繰り出す釣り人

葛飾北斎とスカイツリーとハゼ

7月も終わりにささしかり、これから夏本番というのに、すでに猛暑な東京の下町・錦糸町
墨田区葛飾北斎が生まれた土地であり、区内のいたるところに北斎の浮世絵が飾られていて、江戸時代の息吹が感じられる街である。

そんな東京の下町にマハゼが釣れるポイントがあると知って、照り付ける太陽を睨みながら釣行した。

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ポイントは横十間川クローバー橋
朝早い時間に行ったが、平日だったため徒歩や自転車で通勤する人でにぎやかな川沿いだった。

朝の七時、穴釣り用のロッドと途中のスーパーで買った餌に釣り開始。
朝なら涼しいだろうと思っていたが、甘かった、
とにかく暑い。なんとか影になっているポイントを見つけ、川をのぞき込むと、たくさんのハゼが涼しそうに川底にへばりついていた。

早速穴釣り用の小さなロッドとハゼ用の仕掛けを準備。
ハゼ釣りの餌といえばイソメが鉄板だが、朝早く釣り具屋は開いていないし、イソメ50gを買っても使い切れないので、近くのスーパーで購入したホタテを餌にした。

見えバスならぬ見えハゼをターゲットに竿を下すと、すぐさま餌に喰らいつくハゼたち。
が、経験不足からくる失敗をやらかす。

餌が大きい...

そう、ハゼは獰猛な魚で餌を食うと頭を振り引きちぎろうとするのだ。
餌の取り方もうまい、針にかからないよう起用に食べているように見える。

上げた竿を見つめ、

餌が大きく針まで食わない、餌だけだ盗られている...
まじか...
ハゼをなめてたわ...

次こそはと、餌のサイズを小さくし投入。

先ほど同様すぐ食いつく。
そして...

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オエ!

小ぶりなかわいいハゼが釣れた。
しかし小さすぎるのでリリース。

大きくなれよ...

ターゲットのハゼは目視できれいるので、後は釣るだけ。
なんて簡単なんだろう。

ファミリーフィッシングの代表格といわれるハゼ釣りはまさにその通りで、子どもだろうが大人だろうが、男性・女性・年齢とらわれず、すぐ釣れるだろう。

そのくせ、アタルと小気味良い感触が竿に伝わり、面白い。

これはハマるわ...

と思いながら釣り上げること約2時間。

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まぁまぁな型も上がり、次第に満足していった。
実釣2時間程度で10数匹を釣り上げ、氷で冷やされたジップロックに入れた状態で持ち帰る。

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ハゼの天ぷらは美味で、江戸時代から伝わる東京の旬な魚の一つとされている。
葛飾北斎東京スカイツリー、そしてハゼ。
時代と共に景色が目まぐるしく変わっていく中、変わるもの変わらないものが混在する下町・錦糸町で釣るハゼはせっかちな職人のようであった。


料理篇に続く。

感染性釣り熱 その2

中学の時に発症した釣り熱は五年の時を経て、また熱を帯びて来たが、季節外れの風邪のように長く微熱が続く程度であった。

 

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大学時代の釣行は亀山湖や高滝湖、河口湖といった有名ポイントを攻めていた。

関東の一級ポイントを周っていたが目立った釣果はなく、釣り半分、旅行半分な気持ちだったが私達はそれでも十分楽しかったのだ。

 

恥ずかしいことに私は車の免許を持っていない。これは今も変わらず、釣りに行くとなると鴨の子供のように誰かに付いて行かねばならない。

 

そのイメージが強く残っていたのか、住んでいる近くに釣りができる場所はないと思っていた。

田舎から都会に来た鴨は自身の拠り所となる水辺なんてないと勝手に思い込んでいたのだ。

 

大学を卒業すると釣り仲間だった友達とも離れ、就職、結婚といった人生のイベントをこなし、さらに都会へと住む土地を変えていた。

 

中学卒業時と同様に再度熱は冷め、体に残ったウイルス達は影を潜めた。

 

仕事も板について来て、そろそろ自分にも部下が出来るという頃、遊び仲間の後輩と居酒屋でたわいもない話をしていた時、後輩が殻になった枝豆を箸でいじりながらこう呟いた。

 

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「俺、趣味とかなくて休日暇なんですよね。

なんか面白い趣味ないですか?」

 

私の仕事は口が裂けてもホワイトとは言えず、忙しい毎日を送っていたため、手軽に始められる趣味など持ち合わせていなかった。

 

「なんか、こうアウトドア的なやつがやりたいんですよ。自然がバァーッと広がる所でキャンプとかBBQとか。でも1人じゃできないでしょ?なにかないすかねー。」

 

自然の中でバァーッとね...

自分の田舎は自然だらけだったなぁ。

山もあったし、川や池もあったし。

川や池?

釣りとかいいなぁ。またやりたいし。

 

そう思った時に潜んでいたウイルスたちが動き出した。

 

「釣りとかどう?行ってみる?」

 

「釣りですか!いいですね!やったことないんでやりたいです!」

 

「明日行くか?」 

 

「明日ですか?もう夕方ですよ?まぁ休みだから行けなくはないですけど...」

 

よし決まりだ!と思ったやいなや、大学時代の釣り仲間に片っ端から電話をかけた。

 

するとどうだろう。みんな予定が空いており、行けると言うのだ。

友達と呑みに行くのですら中々予定が合わず叶わないことが多いというのに、ものの30分程度で8年ぶりの釣行が決まった。

 

長い間息を潜めていたウイルスたちは、ここだといわんばかりに、動きを激しくしていくのだった...

感染性釣り熱 その1

釣りは人間が原始的な生活をおくっていた時代から存在する伝統的な狩猟方法だ。
棒と糸と針があれば魚を捕らえることが出来る。
しかし、魚は”自然”そのもので、そんな単純に、簡単に、思い通りには釣られてくれない。
だからこそ釣りは面白いと感じられる。

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第1次釣りブームは中学生の時。
ミレニアムに起こったブラックバスフィッシングの盛り上がりで、ブラックバスが起こした波紋は、確実に福島の田舎まで伝わっていた。
「釣りがしたいからロッドを買ってくれ!」
そう両親に伝えたのは、自ら釣りをしたいと思ったからなのか、友人に誘われて出た言葉なのかは、もう覚えていない。

田舎という娯楽が少ない環境だったので釣り仲間に困ることはなく、毎日のように近くの野池や川でブラックバスを釣りに出かけていた。

釣れることもあれば、釣れないこともある。
釣りに行くという行為がなにか冒険的な雰囲気があり好きだったのだ。

中学時代にはまった釣りも高校に入るといつしか足取りが重くなり、もっと楽しいと思えることに時間を遣うようになった。

高校生というかけがえのない青春はあっという間に過ぎ、大学に進学するころには釣りが好きだったという記憶は脳の片隅においやられていた。

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大学入学をきっかけに関東に出てきた私は、大学生特有の”自由”を謳歌していた。
お金こそ持っていなかったが、構ってくれる友人のお陰で暇することも無かった。
懐かしいフレーズを再度聞いたのは大学二年の頃、
埼玉に住んでいた友人からこんな誘いがあった。

バス釣りしたことある?暇ならバス釣りに行こうよ」

バス釣り。この言葉を聞いて、脳内で眠っていた記憶のボイルが起こった。

「いくいく~!」

友人が運転する車で向かったのは埼玉にある管理釣り場”吉羽園”。
関東のブラックバス管理釣り場では有名な場所だ。
この時持っていったタックルは買ったのか、借りたのか、地元から持ってきたのかはなぜか覚えていない。
かわいらしいバスが何匹が釣れたのは覚えており、中学生の自分もその時は戻ってきていた。

ここから第2次の釣りブームが始まる…